盲人とはり「江島神社にて思いをはせる」その2
~「生きる」を助けるはり医療 ~
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目次
視覚障害というハンディを補う力
杉山和一の生きた時代から400年以上経った今の時代。一言で視覚障害者といってもいろいろある。ただ、やはり見えない・見えにくいというのはハンディであることに違いはなく、ハンディであるならそれを補う力がほしい。
手指の器用さと触覚の鋭さ
わずか1.4ミリの距離感、0.3ミリの凹凸を素早く点字として検出できる私の触察力。その能力は、患者の身体に触れた時、その小さな変化をとらえ、盲目というハンディを凌駕する力となる。
人生の痛みから得てきた人を理解する力
鍼灸院を訪れる人は、必ず何かしんどさや苦痛を抱えている。一人一人それぞれに生い立ち・境遇・立場・環境に縛られながらも精一杯生きている人たちばかりなのだ。
ただ、全ての人がわかりやすく自身のしんどさを表現するわけではない。
目の前にいるその人の言動あるいは空気感に何を感じられるのか、はりにせよあん摩にせよ、施術に際して私はそこを大事にしたいと考えている。
私は、よく同業者や後輩から「何をしたら治せますか、どのようにしたら効果が上がりますか」などと聞かれる。
しかし、それに対する答えはない。鍼灸院で診る症状群は、到底それだけのことでは片付けられないからだ。
では、どうしたら治せる力が備わるのだろうか。
そこには施術者の総合的な人間力が関わっており、どのように生きたかという歴史がものを言う。
「わかってしまう」——それは、数知れず身を削るようなしんどさを超えてきた事実に他ならない。
つまり、私で言えば視覚障害者として生きる上での苦悩や傷をやり過ごさないで、ちゃんと食らい続けているということに意味があると思っている。
“人”と“人” が紡ぐ深い敬愛の情と信頼関係
自らのしんどさを本質的に認め合い、治癒 → 発展という共通の目標に向かって進んでいく。そこには治すものと治されるものというような単純な関係では成り立たない現実がある。
鍼灸院に訪れる人が訴える症状は、身体的なものに限定されるわけではなく、また心の状態から来ているのだと安直にカテゴライズしてもいけない。
目の前にいて私の施術を必要としている人と私との関係。
そこにあるのは、“人”と“人”が紡ぐ深い敬愛の情と信頼関係なのである。
杉山和一への誓い
現在日本には何人の視覚障害者がいるのだろう。私は専門機関に勤めていたため、視点の当て方によって全く違った人数が出てくることを知っている。
たとえば、障害というものが個人にとって「困ること」と定義されるとすれば・・・
厚生労働省が提示する身体障害者手帳を有している者が障害者という数ではなく、日本眼科医会が示す人数の方が正しい数に近いのかもしれない。
ただ、困っているというのも所詮人それぞれの感覚である。そのため、自他ともが認定する障害者の数と言えば身体障害者手帳を有している者だとも言える。
何かにしんどさを感じている全ての人々にお伝えしたいことがある。
それは、見えないということによって~~が困るというように、「〇〇だから~~」という発想ではなく、かつて杉山和一が活路を見出したように、皆違ってそれでいい、それぞれが今あるキャラクターを持って「自分ならどう生きるのか」ということを突き詰めてほしいということだ。
私は、最大の弱点が飽きるほどの努力により運と縁を呼び、いつのまにか最大の特権に変わることを知っている。
ものを見ずに生きるというのは、つくづく不自由さばかりで、不幸すら感じさせる。
ただ、そのように感じている私でも、今の時代だからとりあえず生かされてしまう。
そこで問題となるのがどのように生きるのかと言うことである。
私は強く思う。死んだように生かされ続けるのではなく、一人の人間として能動的に生きていたいものだと。
今の私でいえば一盲人はり師として胸を張って生きて行くぞということに他ならない。
この思いを、私たちに職業を与え、未来を残してくれた杉山和一に対する個人の誓いとしておこう。
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